日本の敗戦とともに満蒙開拓団の人びとは、突然、国や関東軍の保護を失い、逃避行を余儀なくされました。
その逃避行は過酷で悲劇に満ちていました。
多くは陸路での逃避行でしたが、鉄路での避難も行われています。(注1)
鉄路においても陸路に劣らぬ悲劇が襲いました。
用意されていたのは、座席や窓もない貨物車でした。(注2)
行き先も到着時間も知らされないまま、押し込まれるように乗せられ、扉が閉じた瞬間、外の光は一気に遮断されます。
やがて空気は重く沈み、子どもたちの泣き声が反響します。
水や食料の配給は不定期で、乳児用のミルクもありません。
停車中に水を求めたり用を足している最中でも、列車は突然発車します。
一度動き出せば引き返すことはなく、叫び声や合図は走行音にかき消され、人々はそのまま取り残されました。
車内に取り残された子どもたちのその後を示す記録は残っていません。
昼夜の気温差で暑さと寒さが交互に襲い、体力のない幼児や高齢者は次第に声を失っていきます。
子どもたちは床に座ることもできず、大人の足元で身を縮めるしかありません。
貨車の扉が開くのは次の集結地に着いた時だけで、衰弱した幼児が息を引き取ってもすぐに降ろすことは許されず、母親は揺れる車内で冷たくなっていく我が子を抱き続けます。
次に列車が停まった時、ようやく扉が開きますが、下ろされたのは生きた人ではなく、冷たくなった小さな遺体でした。
列車による逃避行は保護ではなく、命を削る過程でもあったのです。(注3)
注1 陸路での避難の様子は『ら・みやび』2025年5月号を参照。
注2 屋根のない無蓋車もあり、風雨が直接避難民を襲った。
注3 現在なら1日で移動できる距離も、当時は列車の停止や線路の破壊、襲撃などで、数日から数週間かかった。
【いわつきともちゃんの会・新井治】
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