内耳鍋(ないじなべ)は、中世から近世にかけて東日本を中心にみられる土鍋です。
通例内面に三か所の環状の突起がつけられています。
これは、縄や紐、ツルなどをかけ、天井などからつるすためのもので、火にかけた際、燃えないように内側につけられたようです。

渋江鋳金遺跡からみつかった古い タイプのもの(報告書から)
中世には、すでに鉄製の鍋が使われていましたが、高価であったことから土製の鍋が盛んに作られ、煮炊きなどに使用されたといわれています。鉄製の鍋は壊れると溶かされ、再利用されたことなどもあってか、現状ではあまり残ってはいないようです。
左の図は岩槻区渋江鋳金(しぶえちゅうきん)遺跡からみつかったものです。形態的にみていくと、このように口の部分の下で折れ曲がり、深さをもっていたものが古いタイプもので、徐々に浅くなり、底の平らなものへと変わっていきます。

郷土資料館で展示のもの
また、下の写真は岩槻郷土資料館で展示しているもので、岩槻城から出土したものです。
右側のものが戦国時代、左側が江戸時代のもので、いずれも浅いものです。
右側のものは底の部分から垂直気味に口の部分に移っていきます。
ツルや紐などをかける環状の突起部分が近接して二か所、それに対向するように一か所となっています。
しかし、左側のものは底の部分から丸みをもって口の部分に移っていき、環状の突起は均等に三か所みることができます。
つくりも丁寧な感があります。
この様な形態の変化があったことが分かります。
この二点のように浅い形態をもつことから豆などを炒る際などにも使われたことも考えられ、「焙烙(ほうろく)」とも呼ばれています。
岩槻郷土資料館の展示では、この二点は「ほうろく」としています。
発掘踏査では市内各地の遺跡からみつかっていますが、その大部分は破片で、完全な形で見つかることはほとんどありません。
展示しているような例は珍しいものといえます。
中には、こわれた部分に穴にあけ、針金でつなぎ合わせ補修して使われたものもみられます。
当時の人々が大切に使っていたことが分かります。
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