燃えてしまった避難所

山林火災が続く日本ですが、東日本大震災で避難所自体が燃えてしまった場所があるのをご存じですか?

それは宮城県石巻市の門脇小避難所です。
海から800mのところにある門脇小では、「大きな地震が来たら津波が来る。地震のあとは日和山に避難」という訓練を繰り返していました。
そのため、地震発生時に学校にいた児童275名はすぐに学校の裏にある日和山に避難。
この275人は全員無事でした。
その後地域の住民などが学校の体育館に避難していたところに1.8mの津波が到達。
校舎の高い所へ逃げ惑う住民を、今度は火災が襲いました。
津波で流されてきた住宅や車などから発生した火災が校舎に延焼したのです。
学校の前は燃えさかる海となって逃げることはできず、住民たちと校内に残っていた職員は教室の大きな教壇を、廊下の窓から橋のように裏の日和山に架け渡し、一人一人が教壇を渡って校舎を離れ助かったのです。
 燃えてしまった門脇小は再開を断念し、近くの門脇中学校に間借りして授業を始めました。
中学校の鉄棒は高く、低学年の小学生は手が届かなかったそうです。
その後、震災により学区内の児童が減少し、2015年をもって石巻小学校と統合し閉校となりました。

住民の間では黒く焦げた校舎を見るのは忍びないと早期の解体撤去を望む声もありましたが、震災遺構として保存し教訓を後世に伝えるべきという意見も出ました。
石巻市は維持管理費の抑制などのため、校舎を切断し中央部の約67メートルを保存し、「石巻市震災遺構門脇小学校」として公開しました。

体育館は屋内展示場として整備され、実際に使われた仮設住宅も移築され、中を見学することができます。
壁にはお父さんが書いた「落書き」もそのまま残され、仮設住宅のその狭さに驚かされます。

同じ石巻市内でも、大川小では児童74人が犠牲となりました。
大川小の災害対応マニュアルには、「地震が起きたら高台に逃げる」と明記されていたものの、実際にどこに逃げるかを決めていなかったのです。
地震が起きてから教員の間で「避難先について議論」が始まり、高台に逃げようとした児童は教員に連れ戻されて亡くなりました。
(助かった住民が証言)

どちらの小学校も震災遺構として整備され、見学することが可能です。
岩槻インターからは車で5時間ほどで行けます。
児童の命を守り切った小学校と、そうでなかった小学校。
この大きな違いはなんだったのか、ぜひ自分の目で見ていただきたいと思います。
とくに政治家や学校の先生、先生を目指す学生さんには、行っていただきたい場所なのです。

【さいたま市防災アドバイザー 加倉井誠】

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