2022年11月20日に「風魔小太郎伝説の里・岩槻 遺構と堀筋ウォーキング」第2弾を開催しました。少し肌寒く、曇り空の下でしたが、ガイド会関係者を含む20名に参加いただきました。岩槻駅から風間出羽守ゆかりの妙円寺や遍照院のある黒谷地区までは2km余あり、バス移動になります。しかし予定のバスに乗り遅れ、急遽マイカーに分乗して移動。「浮谷下」バス停から妙円寺までの旧道の風景も見所の1つですが、マイカー組は妙円寺からのスタートになりました。妙円寺は、風間出羽守の実母が(中興)開基となり、戦国時代(元亀~天正初期)に再建されたとみられる寺院です。同寺北側の斜面下では堀の遺構が確認されたと郷土史家の飯山実先生がお話されていました。和土小の東側、「孟宗山」と呼ばれる竹林の辺りにも堀らしき遺構があると、許可を得て私有地の薮地に踏み入りました。黒谷の村落の中央には、中井均氏の著書に「この字名と土塁や堀の跡などの地割が認められれば、中世(戦国時代)の城館があったことは間違いなし」という字「殿海道(殿海戸)」があり、字殿海道には、風間出羽守の子孫と伝わる江戸時代の黒谷の名主家・雨宮弥太夫家の墓所のある遍照院の共同墓地があります。同院の西側にも土塁らしき遺構があると、許可を得て私有地に踏み入り、段差と盛り土を見て頂きました。黒谷の路傍にある「山王大権現」の石碑は、かつて字殿海道にあった日枝社(山王様)信仰を示す遺物の可能性が高いことが、最近判明しました。和土地区の「八百比丘尼」の昔話とあわせて、参加者の皆様にご紹介しました。黒谷の久伊豆神社と光善院では、明治40年(1907年)の合祀で消えた神社の遺物をご紹介しました。小田原在住の向山健司様による「風魔の伝説」の解説、黒谷自治会有志のご協力を戴き黒谷の地産の野菜を配布、風魔関連グッズの紹介も合わせて行いました。後半は、黒谷から飯塚の「風間圦(樋管)」まで約2km、江戸時代の農業用水「風間堀」の旧堀筋を尋ねて歩きました。「柳橋用水竣功記念碑」近くの「巻の上」バス停周辺で昼食休憩の後、飯塚にある風間圦まで、30分余の道程です。「飯塚村明細書上帳」にみえる堀に架かっていた橋の位置が目印になりますが、かつての県道と交差する地点にあったとみられる「往還石橋」の位置は、今般、郷土史家の大島英夫様のご教示により、より正確にご案内できるようになりました。来年少し暖かくなった時期に、第3弾として埼玉高速鉄道株式会社様のご支援を得て、浦和美薗駅から浮谷・黒谷地区へのウォーキングを実施したいと考えております。岩槻の知られざる風魔関連スポット、まだ何処にあるのかご存じない方は、次の機会にぜひご参加頂ければと思います。今回ご協力戴きました、雨宮道夫様、岩槻地方史研究会 飯山実様・大島英夫様、いわつき武者の倉 長永様、黒谷地区の皆様、岩槻風魔忍び研究会 吉川会長に、この紙面を借りて厚くお礼申し上げます。【岩槻観光ボランティアガイド会】
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