同じ土地、違う風景 (2)

 それから幾星霜。岩槻区誕生二十周年の今、我が家そのものは変わらぬ場所にある。
だが、見渡す限りの田畑は、影も形もない。
国道十六号線が走り、沿道にはファミリーレストランや自動車販売店が立ち並ぶ。
その向こう、かつて用水路がきらりと光っていた場所には、ぎっしりと住宅が建ち並び、夜になれば整然と窓明かりが灯る。
 そこに住む多くは、東京へ通うサラリーマン世帯である。
身なりも言葉も洗練され、町内会の活動も実に活発だ。
住みよい町にしようと汗を流し、市もそれを後押しする。
街路は整備され、公園は清潔で、祭りも洒落た催しに姿を変えた。
客観的に見れば、確かに「住みよい町」になったのであろう。
 それでも、である。
 夕暮れどき、ふと遠い日の田んぼの匂いを思い出すことがある。
用水路のせせらぎや、あぜ道を駆けた裸足の感触が、まるで昨日のことのように蘇る。
その瞬間、胸の奥に小さな寂しさが芽を出す。
所は同じでも、そこに息づく「品」、風合い、匂い、人の気配は、すっかり変わってしまったのだ。
 変化は時代の必然である。発展を否むつもりはない。
だが、かつて確かに存在した風景と気質が、静かに遠ざかっていくのを見送る身としては、祝賀の横断幕を眺めながら、少しだけ取り残されたような心地にもなる。
 二十周年の岩槻区は、若々しく整った顔をしている。
その足元に、かつて泥だらけで走り回った子供たちの影が、薄く重なっていることを、どれだけの人が知っているだろうか。
 所は変わらずとも、品は変わる。
 しかし、変わりゆく町の片隅で、昔日の匂いを覚えている者がいる限り、その「品」は完全には消えないのかもしれない。
私はそう信じたいのである。
【石井 孝】

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