3度目の逃避行
海外からの引揚者に対し、政府は北海道から九州まで約6,000箇所に開拓地を設け、再入植させた。
10年間で19万世帯が新たな土地に入植したが、農業に不向きな痩せた土地ばかりだったため、5万世帯が離農した。
定着できたとしても、そこが安住の地になったわけではなかった。
1950年、朝鮮戦争が始まると警察予備隊が発足し、その基地建設のため土地収容が始まった。
元軍用飛行場の埼玉県児玉開拓地区では、6年間の苦労がようやく報われ、暮らしが成り立ったにもかかわらず、入植地が収容されてしまった。
さらに高度経済成長期を迎えると、引揚者は再び住居を奪われることになる。
切り開いた開拓地が公共事業のために買収されたのである。
①茨城県では、つくば研究学園都市。
②青森県・六ヶ所村では石油備蓄基地。
③青森県では東通原発。④福島県では原子力発電所などである。
特に⑤成田空港は、満蒙開拓団引揚者200世帯が開拓した土地であった。
1度目は生活苦から故郷を追われ、2度目は敗戦に伴う満州から、そして3度目は再入植地から土地を取り上げられ、三度の流浪の民となったのである。
中でも、満蒙開拓団が集団で移住した福島県津島地区は、2011年3月11日の東京電力福島第一原子力発電所事故で、放射能プルームが通過し、大量の放射能が降り注ぎ、全員が避難させられた。
満州からの引揚げを経験した女性は、「60有余年、悲喜こもごもの思いがあった津島だが、家族や近所との思い出があるあの場所で、残りの人生を暮らしたかった。
原発事故で放射能に追われ逃げ惑う姿は、満州での逃避行とどこか似ている。
80を過ぎてなぜこんな目に遭わなければならないんだ。
死ぬまで苦労しなければならないのか。」と心情を吐露していた。
15年たった今、津島地区には朽ちた家だけが残っている。
【いわつきともちゃんの会・新井 治】
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