『杉浦陣屋』
先月号にて名前が出ました松伏町の史跡『杉浦陣屋』。
この陣屋は、徳川家康公が関ケ原の戦い際に築かせたものですが、一度も戦で使用される事もなく、遺構も破壊され残っていないのは先の通りです。では、一度も戦で使われなかった杉浦陣屋、家康公はなぜ築かせたのでしょうか?
これは結果として使われなかっただけで、戦況の次第ではここで大きな戦が起こった可能性があったのです。
この時の家康公は、会津の上杉家討伐に向かっていたところ、石田三成公等の挙兵により、急遽江戸に向けて引き返す途中でした。
この時、逆に上杉家が背後から追撃に転ずる可能性も十分考えられました。
また、川の増水により行きと異なるルートで江戸に向かっており、ちょうど休憩した松伏の地は、古利根川の対岸の越谷まで家康公は鷹狩で来た事があり、頭の中で地図が繋がります。
この川の増水で敵も同じ様に南下した場合、ここから先、江戸城まで、大きな城はなく、ここで防がないと、本拠が危うくなる・・・。
更に、ここで『もしも』関ケ原の戦いで西軍が勝利したら?
先の上杉家は、反転して最上家攻めを行っており、最上家はかなり劣勢。西軍勝利となれば最上家降伏などで南下進軍もあり得えました。
また、隣の茨城では佐竹家が父子で東軍西軍に意見が割れており、結城家も結城秀康公が心境複雑とされ、これらも西軍勝利となれば、身の振りを考え、西軍派に傾く可能性が高くありました。
そうした時、岩付城をはじめ近隣の東軍の城の留守居役達は、この杉浦陣屋を本陣として何としても江戸城防衛の為に集結、双方合わせ何万もの軍勢が激突する戦いが起こった可能性があるのです。
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